2001-03-29 第151回国会 参議院 厚生労働委員会 第5号
猶予期間を設けながら、その間にいろいろなことを経営的にもお考えをいただいて、そして時間短縮に向けた努力をしていただく、しかしやはり猶予を与えていくという、そういう行き方を今までとってきたわけでありまして、この行き方そのものは決して間違っていなかったというふうに思っている次第でございます。
猶予期間を設けながら、その間にいろいろなことを経営的にもお考えをいただいて、そして時間短縮に向けた努力をしていただく、しかしやはり猶予を与えていくという、そういう行き方を今までとってきたわけでありまして、この行き方そのものは決して間違っていなかったというふうに思っている次第でございます。
めていっても、退職した後は自分の家へ帰って畑をやるというふうな考えのもとにいる人が多いですから、そうすると、必ずしも計算どおりみんな中核農家にどんどんどんどん土地を売ったり貸したりしていくというふうなものじゃなくて、二種兼業というのはやっぱり相当のウエートを日本の農業の中でこれから持っていくんじゃないかということを考えますときに、中核農家重点、あるいは育成を主に農政の重点として考えるんだという行き方そのものが
その行き方そのものについて、これはずいぶんいままで時間がたっていることでございますけれども、この点だけでもどうなんですか。
えるべきだというふうに思いますし、少なくとも、反対の意思を表明するということは、これは私は憲法に保障されたことでございますし、いろいろな形において行われることがあってもいいと思いますけれども、しかしこのように、明らかにあそこの中に入るならば危険である、身体の安全というものが脅かされるということがわかっておる、承知をしておる、承知をしておってあそこへ入るというようなことまでして反対をするという、そういう行き方そのものについては
しかしながら、プライスメカニズムのいいところはほとんど生かさないままに、次から次へと財政負担をふやしていかれるような行き方そのものには、特に自民党の立場からいえば一ペん再検討があってしかるべきではないかと思いますが、大臣いかがですか。
それが反対に進んでおるために、ここに一つの収入の制限を加えて、そうして期限を切って立ちのきを請求するというような行き方そのものが非常に酷ではないかというような感じがするわけです。これはヒューマニズム的に考えますれば、入った当時は御承知のように収入も少なかったでしょう。
○受田委員 これは国政の最高責任者が、行政機関の最高責任者が、法律を無視してかってな行動をとるような行き方そのものが、また政治論としても問題があるわけです。法律論、政治論、両方問題があるわけです。しかしながら、法律としてはっきりしたものを打ち立てておくことが、非常に大事なことなんです。
○佐藤(達)政府委員 やむを得ないという今回の人事院のお答えと今後の行動との関係という、非常に含みのあるようなおことばでございますが、一応私の受け取りましたところに従ってお答え申し上げますが、こういう行き方そのものは人事院としては好ましくないことで、これがひんぱんにあっては困るという基本的な態度であります。
だから、こういうふうな法律で非常に美しい名前を掲げて、羊頭を掲げて狗肉を売るというふうな行き方そのものは、政府は国民をだますものだ、私はこう思うのですが、それならそれで法律の名称を変えなければならないと思うのです。都市用水開発特別措置法とか、何か法律の名前を変えなければいかぬと思うのですよ。
しかし、権力を持っている側が、こうだから一つ解約せよ、解約しようじゃないかという行き方そのものに私は大きな誤りがあると思うわけであります。どういう形で解約を進めていかれますか。これは、国会での答弁ということではなくて、個人のもあるわけですから、その個人のところに長官が行って田のあぜで、あるいは縁側に腰かけて話すように、一つよくわかるように話していただきたい。
むだを省き、ぜいたく、奢侈をやめて、そうして国民の力でこの難局を乗り切つて行くという、この行き方そのものはまことにけつこうだ。ところが、その考え方は非常に正しいのですけれども、そのことから一つの間違いがそこに起つて来ておる。このむだを省き、奢侈をなくして行くということの必要については、これは国民ことごとく私は賛成だと思う。野党の諸君も皆賛成だと思う。
○石井国務大臣 いや、私は責任は、こういうふうにしておるから、この行き方そのものは私は正しかつたと思つておるということであります。それではそれだけお答えしておきます。
以上の点から申しまして、すなわち日本の鉄鋼産業の自主性という問題、あるいはまた平和産業の育成発展という、その基本的な面から申しまして、政府のこの施策、また日鉄を廃止するというこの行き方そのものが、こういう重要なる政策に対する反対の方向をとりつつあるということがはつきり言えるのであります。
それから日本の警察の從來の實體に關する世界的の誤解ということについていろいろお話があつたのでありますが、私も先ほどお話いたしましたように、この一つの強力なる國家的な組織をもつ警察の組織そのものが惡いのではなくて、警察をして執行せしめたいろいろの法律的規制、あるいはその當時の社會的な一つの風潮と申しますか、國家的な行き方そのものに非常に反省すべき點が多くあつたのでありまして、今日以後の日本の状態におきましては